建築家 津川恵理さんに聞いた「自分にしかできない表現を仕事で実現するには」【アート思考探求マガジンvol.6前編】

2024.09.30
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アート思考マガジン

神戸の阪急神戸三宮駅前「サンキタ広場」を手がけ、先日は東京渋谷の「公園通り」周辺エリアのデザインコンペで採択された建築設計集団ALTEMY(アルテミー)代表の津川 恵理さん。津川さんの手がける建築は、自身が思春期の頃から好きだった「身体表現」と都市空間を組み合わせた強いオリジナリティを感じさせる。来た仕事はすべて、ALTEMYでないとできない仕事に昇華させる、と話す津川さんに、建築家になった経緯、オリジナリティある表現はどう生まれたか、自身の表現を実現するために心がけていることを聞いた。

コンペで最優秀賞を受賞し設計を担当した「サンキタ広場」[撮影:生田将人]

ダンスに夢中になった思春期。夢を諦めて選んだのが建築だった

平山:若手建築家として第一線で活躍されている津川さんですが、ご実家は医者家系だと聞いて驚きました!その環境で育った津川さんが、なぜ建築家になったんですか?

 

津川:母や祖父、母の姉妹、従姉妹まで、母方の親戚はなぜか医師の方が多いですね。母は私が医師になるのが当たり前だと思っていました。例えば、テレビドラマでグロテスクなシーンを見て「うわっ」と反応している私に、「こんなときに感情を入れていたら、人の体は触れないわよ。感情と理性を切り離して見なさい」などと言われるような、そんな日常でした。でも、私は医師になる自分を一度も想像したことがなかったんです。

 

平山:お母さんからそれだけ言われても医者になろうとは思わなかったんですね。

 

津川:中学・高校時代は身体表現者になりたいと思っていました。ある日テレビでたまたま見かけたパフォーマーにとても惹かれたんです。私は中学受験で中高一貫校に入ったので、高校受験がなかったのと、両親は共働きで一人で過ごす時間が長かったので、ビデオを見ながら独学でずっとダンスの練習をしていました。

 

平山:ダンス部に入ったり、習いに行ったりはしなかったんですね。

 

津川:自分の夢を大切にしたくて、なかなか他人に打ち明けることができずにいました。そのうち、申込書に勝手に印鑑を押してオーディションを受けに行くようになりました。少しずつ結果が出るようになったのですが、結局は未成年だと両親の許可がないと実現できないとわかり、今自分の夢を叶えるのは無理だと悟ったんです。

 

高校2年生のときにいったん大学受験はしておこうと決めました。教育熱心な家庭で育ったことは有難いと思っていたので、大学への進学は今後の自分の武器になりそうだと思ったからです。


進路に関しては、文理でいえば理系のほうが自分に合っていそうだと思い、その中で一番クリエイティブなのが建築かなという感覚で選びました。最初から建築家になりたかったわけではなく、自分の何かを表現できる仕事につきたくて建築を選んだんです。

 

平山:建築学部に進むことは反対されなかったんですか?

 

津川:反対というより黙って見ている感じでした。私は一浪していて、そのときに母からは「今からでも医学部に入れるよ」と言われましたし、建築学部に入学してからも事あるごとに「今からでもまだ間に合うよ」と言われていましたね(笑)よっぽど、心配してくれてたのだと思います。

 

「身体表現を伴う都市空間」という建築スタイル

平山:津川さんはご自身の建築の方向性をどのように見つけていったんですか?

 

津川:方向性を見つけられたのは大学院の修士設計のときで、自分の建築スタイルの原点になるものが生まれました。具体的には、使っている素材がバラバラで、壁と地面の操作だけで作られている屋根のない公園を設計しました。地形やオブジェクトと身体を対話させながら、他人との関係性を紡いでいく公園でした。

 

のちに、その修士設計が荒川修作という美術家の作品と似ていると言われ、そこから荒川修作を意識するようになっていきました。

荒川修作による岐阜県 養老公園の「養老天命反転地」 参照:養老公園公式WEBサイトより


その名の通り天地が反転したような公園 参照:養老公園公式WEBサイトより

津川:荒川修作は岐阜県にある養老天命反転地をつくった人です。身体に果敢に挑戦する公園で無料でヘルメットを借りられるという変わったテーマパークです。この修士設計で自分のスタイルを見つけてから、もともと興味のあった身体表現と、覚悟を決めてやると決めた建築設計という仕事を何とか融合させて、自分にしか出せない建築・環境をひたすら模索し続けています。

 

平山:なぜ、身体表現を伴う建築が必要だと思ったんですか?

 

津川:私は人が身体表現をしているのを見るのも好きなんです。だから、建築によって人が踊っているような状況を作りたいと思いました。


言葉は自由に操ることができますが、表情や振舞いには、ふとした瞬間に人の本質が出ます。それが都市空間にあぶり出されることで、生々しい野性的な人間の集合体のように見える。そんな都市空間がこれからの時代に必要だと思っているし、自分自身もそれを見てみたいんです。

 


津川氏が手がけたサンキタ広場も連日さまざまなパフォーマンスに活用され彼女の思想を体現している

 

どんどん自分をなくしていくことが怖くなり、NYに旅立った

平山:大学院卒業後は日本で大手の建築設計会社に入社されていますよね。津川さんが今手がけている建築とは少し違う仕事だったと思うのですが、どんな日々を送っていましたか?

 

津川:会社に勤めはじめると、自分のしたいクリエイティブなことをする時間がなくなると気づきました。それがあまりに怖くて必死でバランスを取っていましたね。

 

例えば、朝イチに出社したら、毎日海外の建築家を一人選んでホームページを開くんです。その人の作品をディスプレイの背景のようにして、自分の仕事で使うウィンドウを重ねていました。そして、スケッチブックをいつも傍らに置き、仕事の合間に「新しい建築にはどんなものがありえるのか」を考えてスケッチを描いたりしていました。クリエイティブな時間がなくなる怖さから、本や雑誌を学生の頃よりもたくさん読み始めました。

 

同期たちが社会人として会社に馴染んでいく一方で、私はどんどん尖っていくんです。そんな日々の違和感がピークに達したとき、「海外に行こう」と思い立ちました。
そこで、文化庁が募集していた渡航費と滞在費の支援を受けられる制度に応募しました。そして、ずっと気になっていたNYのDiller Scofidio + Renfro※(以下DS+R)
という事務所で働きたいと考えてポートフォリオを提出したんです。無事にどちらの選考も通過することができ、社会人として3年働いたことを区切りに、NYに向かうことにしたんです。

 

※Diller Scofidio + Renfro(読み:ディラー・スコフィディオレンフロ)WEBサイト

DS+Rが2009年に手掛けた「ハイライン」。マンハッタンの高架跡地を再開発した空中庭園。

ハイラインは今や世界中から年間800万人が訪れる屈指の名所。パブリックアートの展示やパフォーマンスアートが連日行われている。

ダンスという夢が建築で叶うことに気づいたキャリアの大転換点

平山:DS+Rのどんな点に惹かれたんですか?

 

津川:建築家の事務所なのですが、さまざまなプロジェクトに携わっていてどれも面白いんです。プラダのカバンのデザインをしたり、都市空間で演劇やパフォーミングアーツをしたりする。80〜90年代に日本でもブームを起こしたメディアアーティストからはじまった建築家の集団です。

 

さまざまなことを手がけながらも、彼らがやりたい思想は一貫しています。人間の知覚を通して社会のある部分をハックしたり、既存の文脈をトリックのように操って変えていくことをスマートに表現する。手がけるアウトプットも超絶クールで、このセンスをもつ事務所は日本だけでなく世界中にもなかなかありません。NYにいた1年間は楽しすぎて寝る間も惜しんで働いたので、3年分くらいの経験をした感覚です。

 

平山:NYではどんなプロジェクトを経験したんですか?

 

津川:実は、DS+Rのプロジェクトとは別に、個人的にマンハッタンの歩道空間で都市実験を行っていました。クライアントワークとは別に、自分が純粋に都市に思う違和感や疑問を投げかけてみようと計画しました。

 

街で人がふとした瞬間に内面や感性が出てきてしまう、そんな有機的な様子が観たいと思って、歩道に鏡面張りの風船を浮かべました。実は床からゴム状の紐で支えているのですが、紐があまり見えないのでみんな不思議がって通り過ぎていくんです。

平山:面白いですね。何を確認するための実験だったんですか?

 

津川:歩道をたまたま歩いていたときに、歩いている人の表情が暗いなと思ったんです。笑いながら歩いている人がいたら怖いので当たり前なんですけどね(笑)

 

NYではストリートですれ違う人からよく声をかけられます。「その髪型いいね!」「その服、どこで買ったの?」とか。一期一会の奇跡なのに、ほんの一瞬で皆がそれぞれの場所に行ってしまう。こんな偶発的な出会いが街にはたくさんあるのにみんなが無意識なので、それをあえて呼び起こすハプニングを仕掛けたいと思いました。

 

平山:不思議そうな顔をしながら風船をよけたりして、ただ歩いている時よりみんなの表情が豊かですね。私も歩いていたら思わず笑顔になりそうです。津川さんが建築家として異彩を放つ根源が理解できた気がします。パフォーマンスアートを建築で表現するという、唯一無二の視点をお持ちなのですね。

 


 

続く後編で、津川さんがニューヨークで実感された建築家とアートとの距離感についてや、帰国・独立後のキャリアについてお伺いしていきます。

後編記事はこちらからご覧ください。

今回のゲスト/建築家 津川恵理


2013年京都工芸繊維大学卒業。'15年早稲田大学創造理工学術院修了。組織設計事務所、文化庁新進芸術家海外研修員としてDiller Scofidio+Renfroでの勤務を経て、'19年ALTEMY設立。早稲田大学、東京理科大学、東京電機大学院、日本女子大学の非常勤講師。国土交通省都市景観大賞優秀賞、土木学会デザイン賞、東京藝術大学エメラルド賞、日本空間デザイン賞、グッドデザイン賞など受賞。
津川恵理さんの設計事務所 ALTEMY SNS X /Instagram

アート思考探求マガジン「Hello ART Thinking!」

アート思考を紐解くインタビュー企画

第一線で活躍する経営者やクリエイターは、アーティストにも似た感受性や視点が備わっているようにみえる。一体なぜ?マガジンでは、彼らの物事の捉え方や感受性を育むまでに至ったパーソナルな体験を対話によって紐解き、アート思考を再定義します。インタビュワーはオフィスアートを運営するNOMALARTCOMPANY代表の平山美聡。 vol.6の今回は建築家津川恵理さんとの対談です。アーカイブはこちら

アート思考探求マガジン「Hello ART Thinking!」

文/久保佳那
写真/久保佳那,DaikiSugimoto
企画・編集/野本いづみ

この記事は「建築家 津川恵里さんに聞いた「自分にしかできない表現を仕事で実現するには」」の前編記事です。後編記事はこちら。アーカイブはこちら

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